
佐藤光記のオフィシャル・ウェブサイトへようこそ。
独自の視点と技術を通じて、芸術の世界を探求する旅に出ましょう。作品や活動についての詳細をぜひご覧ください。
平成27年度(2015年)東久邇宮文化褒賞受賞、
イギリスロンドン英国王立美術家協会”八つ星”認定画家。
フランスパリ芸術家業界【ル・サロン】協力図書。「LeSalonと日本の美術家」掲載作家認定。
ユネスコ・パリ本部日本政府代表部室作品寄贈、
ユネスコ・パリ本部ユネスコ幼稚園作品寄贈、
『※セッション希望の方へ以下の資格を取得しておりますのでご安心ください。』
社会学士、社会福祉主事、児童指導員、児童福祉司、身体障害者福祉司、
知的障害者福祉司、
養護学校教諭一級普通免許、中学校教諭社会科一級普通免許、
高等学校教諭社会科二級普通免許、
天命によりまして2024年11月26日
旧 佐藤皇季⇒佐藤光記に改名。宜しくお願い申し上げます。
佐藤光記(旧皇季)の作品の出来たいきさつ。
私は30年以上絵画を描いてきました。
独学で無所属・無派閥・師事無しの、あくまで自分の感覚では趣味の範囲でした。
趣味といいましても各有名公募展・コンテストや入賞は数多く受賞しております。
しかし2007年7月12日に起きた、ある出来事により人生が大逆転し現在に至っております。
その出来事とは、当時仕事で上司である支店長と同行しアポイント先である日本三景で有名な宮城県松島町という場所に行きました。
しかしながら、アポイントがキャンセルになりました。
そこで遅めの昼食を摂ることにしました。
松島町の海の見える高城という地区で国道添いにコンビニエンス・ストアがありそこで弁当を買いお互いの車で別々に昼食を摂り昼寝をしておりました。
すると夢の中で不思議な体験をしました。
それはとても威厳のある響いた声で私に絵を描くアドバイスと絵を描く事の使命感を延々と話してくださいました。(一部ですが、申しますと、以前からの約束で使命を持って生まれたのにすっかり忘れてしまって人生も50歳になってしまいいよいよ時間が無いので、気付かせるために今話しかけている~ということから始まりました。)
しばらく長い時間聞いていましたが、私は、「はっ!」として目を覚まして車の倒した座席から飛び起き、しばらく呆然としていました。
するとまた直ぐに今度は耳で聞くのではなく頭の中に響く声でまた威厳のある声が聞こえました。メモを取るように、、と です。そこで私は教えていただいた内容を急いでメモを取り終えました。時間としては結構長い時間(30~40分)です。
そしてメモを書き終えたところで「仕事をしている場合ではない、会社をすぐに辞めて、約束の使命通り、絵画に専念するように、、、。」というアドバイスの後、その威厳に満ちた声は念を押して消えました。
何がなんだか分からずその日の仕事を終え支店長と別々の車で帰社した際に私は、昼間の誰とも分からない威厳のある声の主の言葉に素直に従いその場で支店長に会社を即!退社することを伝えました。
大騒動になりながらも無事に?退社を許可していただき帰宅しました。
晴れて?翌日より絵画の作品制作に専念し絵画を専業とする画家として再スタートを切ったのです。
ちなみに再スタートは新しく生まれ変わったということなので画家名も佐藤光記という名前はこの時から使用いたしました。
以前の私は別の画名でしたので現在は存在していないし、過去の実績の事は誰もわかりません。
この点をご理解願います。
このような理由・いきさつから生まれた絵画です。信じる、信じないはお任せいたします。
今後 日本中・世界中の平和のお役に立てますように益々精進して作品制作に邁進する所存です。
楽しみにお待ちくだされば幸いです。
再度申し上げます。過去の経歴や画名は一切消えましたのでご了承願います。
佐藤光記 2014年11月29日






